義父の四十九日

beer

2012年07月29日 23:16

ブログには書いてありませんでしたが・・・

先月13日に主人の父、
私の義父が逝去しました。

行年83歳でした。

今年の2月、
すい臓に悪性腫瘍が発覚。

すでに末期状態で通院しながらの抗生剤も効果なく、
6月13日に自宅で吐血をしそのまま帰らぬ人となりました。

とても仲の良い義両親だっただけに、
義母の悲しみに暮れた姿は見ていられないほどでした。

義父は無口で頑固・そして超オシャレな男前でした。
無表情だけど、
孫に見せる顔は優しくて息子も娘も義父が大好きでした。

事情があって今の街にたどり着いた義母と義父はお互いにバツイチ同士。
最初の子供が死産だったこともあり、
無事に生まれた主人は相当に愛情たっぷりで育ったのではないでしょうか。

結婚当初、
主人は義父のことに対してよく愚痴をもらしていました。

「昔はよく給料を家に入れないで自分の物に使ってた(義母は着物を縫って売っていたそう)」
「父親と同じ会社に中途採用で入ってコネだと思われるのが嫌で仕方なかった」
「トラックでオレの足をひいた(これには大爆笑してしまった)」
等々・・・

が、
義父がなくなってひと月ほどが経った頃主人は、
「なんだかんだ言ってもオレは父親によく似てる。
無口なとこや強情なとこも」
さらに、
「父親に男の死にざまを見せてもらった。
きっと体中痛かっただろうにそれをパートナーに迷惑をかけたくないからと我慢してたんだろう。
最期まで母は「父さんは私に手をかけなかった、きっとつらかったと思う」と言っていた。
それが男の生き様なんだな」
と。

それが男の生き様・・・
でも私の考え方は主人と違いました。
「ばーちゃん(義母)は手がかからなかったって言ってるけど、それは違うよ。
だって、じーちゃん(義父)は紙おむつもしてたし自宅で血を吐いて倒れたんだよ。
痩せ細ったじーちゃんを体が丈夫じゃないばーちゃんが支えるって大変なことだよ。
ヘルパーさんが大変な仕事なように、ばーちゃんは四六時中じーちゃんの看病をしてたんだから。
それを、手がかからなかったって言えるってことはそれだけじーちゃんのことを愛していたからなんだよ。」
そういうと、主人は目に涙を浮かべて頷いていました。

義母は義父がなくなった後、
何度ももっと早く病院に連れて行って検査してもらえばよかった。
父さんが病院嫌いで痛いのを我慢してるのをもっと早く気づいていれば…と。

だけど、
じーちゃんが嫌がるのを無理やり病院に連れていたって本人は喜ばないとおもうんだよね。
それよりも、
痛くてもつらくても少しでも長くばーちゃんと一緒にいたかったんじゃないかな。
病院が嫌いだから我慢してるのもあっただろうけど、
私はばーちゃんと生きてる間にずっと一緒にいたかった。
それだけだったと思うと義母に言いました。

私の言葉で義母が納得するとは思わないけど、
それが私の素直な気持ち。

そして四十九日の今日(正確には明日)、
主人は義父が着ていた服を着、
義父がしていた時計を装着して納骨堂でお参りしてきました。

父親のいない私にとって義父は唯一の「父」でした。
家族が崩壊した中で育った私にとって、
義母と義父は理想の夫婦像でした。

・・・っていっても私のほうがよほどの鬼嫁ですがねww



最後に久々の王子の画像を・・・

残念な顔の王子が多いので今日はラブリーなフミフミ画像にしますた(・∀・)

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